Don't look at the carpet

映画や本について取り留めのない話をしています。ネタバレ有り。

『スーサイド・スクワッド』

公開した頃に一回だけ見て書いた文章だった気がする。

悪い奴らがチームを組むことになり世界を救う…みたいな粗筋だけ見ると、マーベルスタジオ制作の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を思い出す。しかし『ガーディアンズ~』のような映画を期待するとがっかりする。この映画はあくまでも悪役は悪役で、人はそう簡単に変われないという話だ。しかも、登場人物たちの持っている愛はチーム外の人に向いていてチームの絆というものもあんまりない。また、この映画は『マン・オブ・スティール』から始まるシリーズの中の一作として捉えることにも意味がある。

「変われなさ」が表れている一人がデッドショットだ。冒頭から彼は娘に殺し屋稼業をやめるよう言われているが、娘を愛している、一緒に暮らしたいなどと言いつつも、自分にはこれしかないと思っており結局やめられない。エンチャントレスと対峙する場面で、エンチャントレスはデッドショットが一番大切に思っているであろう娘が「やめて」と言っている幻覚を見せてきて、彼を止めようとする。しかし彼は仕方ないとでも言いたげな表情であっさり銃を撃つ。ここまでの出来事を経ても彼は殺し屋をやめるとは思えなかったのである。

そもそも、登場人物はみんなチーム以外の人のことばかり考えている。ハーレイクインとジョーカーのカップルはほかの作品での二人と比べラブラブなので驚いたが、ハーレイの愛はちょっといびつな印象を受けた。あんなにクレイジーさを強調していたのに、エンチャントレスが見せた彼女の理想は紋切り型ともいえる夫婦だ。またディアブロは家族を愛しているといいながらも彼らを救えなかったことを悔やんでいる。カタナは殺された夫のため、自身の死に場所を探している。フラッグ大佐とムーン博士のカップルも、本気で愛しあっているのかもしれないが、二人の恋愛関係は元々ウォラーに仕組まれたものであり、ウォラーに利用されている。

この映画の構成は『バットマンvsスーパーマン』と対比されている。物語を全て裏から操っているルーサーとウォラー、最後に現れるドゥームズデイとエンチャントレスの弟、自らを犠牲にするスーパーマンディアブロなど。『スーサイド・スクワッド』において、ヴィランヴィランのままでいることで、一連のDC映画シリーズにおけるヒーローたちがいかにヒーローであるのか、ということが際立たせられているのである。