Don't look at the carpet

映画や本について取り留めのない話をしています。ネタバレ有り。

『メッセージ』

 

 
原作『あなたの人生の物語』を読んで映画化を楽しみにしていた。でもあくまで小説は「原作」であることをあんまりよくない意味で意識させられてしまった。
 
よかった点としては映像の美しさ。全体的に宇宙船のある平原は霧がかかったような様子。これによって何があるのだろうと興味をひかれる。さらに、人々の集まるテントの中は暗いのに対し、宇宙船の中の原作でいうルッキンググラスにあたるであろう場所はとても明るいという対比。またルイーズがヘプタポッドたちと遭遇する時、娘と過ごしている時、娘を産むと決断する時で大きく色のトーンが違っているのもいい。
ヘプタポッドたちの宇宙船をどう表現するかというのは気になるところだが、横から見たら細長い形なのに、別角度から見るともっと太めの楕円に近い形をしている。石のようだけどそれとも違う何ともいえない表面も不気味で宇宙から来たことを納得させられた。また、彼らの宇宙船が地球を去るときの効果もいわゆるワープ航法とは違うような、ここでも霧を意識したような効果がよかった。
また初めてヘプタポッドたちとルイーズが出会う場面、ルイーズが宇宙船に躊躇しながらも踏み込む場面を追加したことはよかった。あの場面を加えることで緊張感が高まる。
 
ただ、他の原作から改変された部分の多くは疑問が残るものだった。その中からいくつか挙げてみる。
一番大きな変更は、ルイーズが宇宙船の飛来によって生まれた国際的問題に直接関わる点だ。原作の大きな特徴は、宇宙人が来るという大規模な出来事を描いているのに対し、物語のメインはルイーズと娘の物語だというところだ(タイトルにも表れている通り)。確かに、宇宙船の外は騒がしくなっているのに、実際の人間と宇宙人と交流はとても静かなもの、という対比は面白い。だが、主人公が外の騒ぎに巻き込まれる必要はない。この話により、ヘプタポッドたちの目的は判明することになり、謎めいた部分が失われてしまう。さらに、ルイーズと、そして何より彼女の娘の物語という重要な部分の印象を薄めてしまっている。
ルイーズが彼らの言語を習得していく部分の映像化はうまくいっている。とくにノンゼロサムゲームについて娘に聞かれる場面と、ドネリーがそれについて話す場面のはさみ方はルイーズが同時に経験していることをよく表していて印象に残った。だが、ルイーズが彼らの時間の捉え方に気づく鍵となるフェルマーの最小定理および変分原理についての話が全くないことは問題だ。これによって、ドネリーの役割が変わってしまった。原作でも、彼はどこか飄々としていてルイーズの支えになっているとともに、ルイーズがヘプタポッドの言語を習得するための重要なヒントを与える物語の筋の上で欠かせない人物だった。だが、映画ではヒントを与える役割が失われ、精神的支えになる役割が残った。だからといってその役割も深く描かれているわけではないので、ドネリーはかなり地味な人物となってしまった。さらに、ヘプタポッドの時間の捉え方を習得する過程は、ヘプタポッドBを書いていくうちに学ぶものではなく、お告げ的なものになってしまった。原作を読んだときこの過程に感動したので非常に残念だった。
 
キャスティングについては、正直どのような人が演じたら自分の中で正解と思えるかどうかわからないので何ともいえない部分もあるが、予想よりかなり合っていたと思う。主演二人ともなんとなく派手なイメージがあったので、この話には合わないような気がしていたが、いつもより落ち着いた演技だったと思う。ただ、ドネリーについては、物語上の役割が薄れてしまったので、人物像より、やたらとムキムキな学者だなという見た目の印象が強くなってしまったような気も。
 
全体的に、原作を読まずに見たらもっと面白かったのだろうと思った。映像がすばらしいだけに、ストーリ上の追加要素、特にルイーズが大将を止めるくだりの微妙さが際立つ。初見の人にはルイーズの娘の物語というテーマから焦点をぶれさせかねないし、原作を知っている人にはちぐはぐな印象を与えてしまう。
ある意味、「結果を知っている」という感覚を味わいながら見られたわけではあった。結末を知っていても引き込まれる映画ではあったから、成功といえるのかもしれないが。